ご挨拶 土偶 下倉K

こんにちは。下倉Kです。
『鬼族(きぞく)』あるいは『天狗の棲む地』(後に『狗族(ぐぞく)』と改題)に登場しましたが、もしご記憶いただいていましたら光栄です。
この「縄文村」は、『鬼族』に紹介されて以来、一度全面閉鎖をしまして、その後、極めて小規模にリニューアルしました。『鬼族』を読んだだけでは分からなかった、日本古代史や、天狗河童などの異端的存在について、想いを膨らませる助けとなればと思っております。

『鬼族』の中で、私は出雲神や銅鐸について、自分なりの考えを語りました。
ここでは、それをさらに補完する文章、あるいはもっと根源的な部分での日本古代史観を提示・提供していきたいと思っております。
文字中心の地味なサイトですが、おつきあい願えれば幸いです。
(なお、このサイトは小説『鬼族』から生まれたものです。登場する人物や資料には、私自身を含め、架空のものあることをお断りしておきます)

鬼族

私の日本古代史観

■日本人のルーツ■石器包丁

日本人の祖先については様々な論があります。
現在、有力なものは、もともと列島に住んでいた縄文人に、大陸から渡ってきた弥生系の人種が加わり、混血を重ねて現日本人を形成したというものです。
私も基本的にはそうだと思っていますが、そもそも「縄文人」とはなんでしょう。縄文時代にこの列島に住んでいた人々、という定義だとすれば、縄文人は単一民族ではなく、複数の民族だったでしょう。

『あなたの先祖は「なに人(じん)」か?』(徳間書店刊、田中勝也+日本原住民史研究会 1986年)には、
  1. アイヌ人
  2. 出雲族
  3. ハヤト
  4. クマビト
  5. 韓・漢人
  6. 粛慎
  7. 倭人
  8. サンカ
  9. ツチグモ
  10. オリエント人
  11. ムーとポリネシア人
  12. 天孫族
という12の種族、グループが提示されています。
これらは重複しているものもありそうですし、カテゴリーが違うものを一緒に並べた感のするものもありますが、縄文時代末期には、複数の民族が日本列島に分散して棲み分けしていたことはほぼ間違いないでしょう。
逆に、北海道から九州まで、単一の民族のみが住んでいたと考えるほうが不自然です。
例えばアイヌは、現代まで、ほぼ純粋なまま縄文時代の民族性を保ってきた列島唯一の民族ですが、古代の日本列島にアイヌ系の民族しかいなかったと想像するのは、相当に無理があります。


■天孫族支配までの流れ■銅矛

長い間複数民族が共存していた日本列島が、大陸からの思想や技術の流入により、一気に「国家」という支配体制に組み込まれていくのは、弥生時代から大和時代にかけてのことです。
大和朝廷を作り、現天皇家のルーツともなるのが、朝鮮半島から渡ってきた「天孫(てんそん)族」と呼ばれるグループであったという説は有力ですが、天孫族以前にも、大陸からは複数の民族が列島に渡ってきており、かなり大規模な地方国家を築いていたと想像する人たちがいます。
いわゆる出雲王朝はこれにあたります。
出雲王朝は複数の民族の共同体で、リーダーシップをとっていたのは、メソポタミアをルーツとするインテリ層とも、後から入って来る天孫族と同族の朝鮮半島をルーツとする民族とも言われていますが、いずれにせよ、大和朝廷以前に、西日本一帯に大きな地方国家が築かれていたことは確かなのだろうと思います。
記紀に出てくる「国譲り神話」というのは、この出雲王朝に対して、九州から北上してきた後発の渡来人グループ・天孫族が、武力による威圧や謀略、婚姻工作などを繰り返して、乗っ取るまでの歴史を物語るものなのでしょう。
大和朝廷初期には、出雲系のリーダーたちも、一種の「連立内閣」として、支配層の一翼を担っていたはずです。それを単独支配にしようとしたクーデターの代表が「大化改新」ではないでしょうか。


■出雲 vs 大和■銅鏡

大和朝廷設立後まもなく、支配者層から追い落とされた出雲系のリーダーたち。
しかし、彼らの影響力は、そう簡単には消滅しませんでした。出雲王朝の宗教観などは、日本列島原住民に広く、深く浸透し始めていました。
もともと、原住民たちが持っていた自然崇拝の傾向──太陽信仰や地神(土地の神)が出雲神の宗教政策にうまく組み込まれ、氏神という形で先祖崇拝の色も加わっていったのが出雲神ではないかと、私は思っています。
出雲系のリーダーたちは、北へ追われながらも、各地で原住民と結びつき、大和朝廷と対抗しようとしました。
「鬼」は、その中で生まれてきた「異端のシンボル」のひとつです。
朝廷側が、出雲神を非常に怖れていたことは、多くの史書や史跡が物語っています。
大和朝廷は、自分たちは天から遣わされていて、天の神(アマテラス)の正統の子孫であるとしています。
一方、出雲系は、自分たちはこの土地(日本列島)に先にやってきて最初の国家を作り上げたことや、原住民と深く結びつき、土地の神とも精通していることを、正統な支配者である拠り所とします。
天孫族に追いやられても、山の神、川の神、海の神、森の神、土地の神……と結び、天津神(アマツカミ=天孫族にとっての神)の支配に対抗しようとします。
日本の神社には、国津神系と天津神系があるといいます。国津神というのは出雲系、天津神は天孫系(大和系)です。一見同じ「神社」に見えても、建立された意味合いが違うのだというのです。これはもっと注目してもいい説だと思います。
つまり、天津神系神社は純粋に天の神を崇拝するための神社であるのに対して、国津神系神社は、その土地の神を祀ることにより、出雲神の怒りを鎮めるという意味合いが強い。自分たちがこの国を支配する過程において滅ぼしてきた出雲系の祟りを怖れて建立された──天孫族にとって、出雲系の影はそれほど強大だったわけです。
出雲系の人間たちや思想が、どのように現代まで伝わってきているのかを考察した本としては、原武史の『<出雲>という思想』(講談社学術文庫)などがあります。


■一大混血民族・日本人■

記紀(古事記・日本書紀)は、征服者であり、権力を握った側から編纂された史書ですから、当然、権力者側を正当化する内容で書かれています。被征服者の側から書かれた文書があったとしても、それらは権力者の手によってほとんど消されてしまったでしょう。
いわゆる古史古伝の類は、偽書であるとして、歴史教育の場からは抹殺されています。しかし、後に都合よく書かれたから偽書だというのであれば、古事記や日本書紀も「偽書」となります。
歴史教科書に書かれた古代も、結局は想像による部分がほとんどです。
現代に生きる私たちは、日本列島がかつてどんな土地で、どんな人々がどのように暮らしていたのか、知るよしもありません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、現日本人が太古からひとつの独立した民族であったなどということはありえないということです。
現在、アジア諸国を形成している多くの民族の血が複雑に混じり合っているのが現日本人、ということではないでしょうか。
この認識は、とても大切なことだと思います。ある民族に対する偏見や、根拠のない優勢意識が、今まで多くの戦争やテロ事件、虐殺事件を起こしてきました。少なくとも「血」を云々することが馬鹿げていると認識できれば、こうした過ちを繰り返す愚をある程度抑止できるかもしれません。
また、日本人の優秀さを論じるとき、その勤勉さや、ルールや集団の統制を重視する気質などがあげられますが、これらはおそらく、縄文的な気質というよりは、後から入ってきた弥生的(渡来人系)気質によるところが大きいという気がします。
しかし、近代化という名の下に、現代日本人は、この土地の貴重な自然を破壊してきました。経済という宗教を盲信するあまりに、生き甲斐を失ってしまいました。さらには、権力者が自分の都合のいいようにルールをねじ曲げたり、わざと繁雑にして逃げ道を作るという負の面も生まれました。
このように閉塞した状況の現代においては、今まで軽んじられてきた縄文人的なおおらかさ、自然を愛し、自然に宿る見えない力を畏怖するという気質を、もう一度見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
縄文的おおらかさ・平和主義と、弥生的な勤勉さ・律儀さのバランスをうまくとりながら、争いを避けて生きていくことこそ、今の日本に必要な戦略ではないかと思うのです。

山に封印された鬼たちが見てきたものを、里に棲む我々は、もう一度知る必要があります。そんな気持ちを持ちながら、この縄文村を、ここにひっそりと作ることにしました。縄文的な心を大切にしたいと思われるかたは、村民としても、客人としても、いつでも歓迎いたします。
(初代村長・下倉K)


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