縄文村 語彙さくいん

【アイヌ】
北海道・サハリン(樺太)に住む先住民族。かつては東北地方などにも居住し、狩猟・漁労を主とする生活を営んでいた。近世以降、植民・同化政策により、人口は激減。(集英社国語辞典より)

現代では、アイヌ人は東北から北にしか住んでいなかったかのようなイメージがあるが、もともとはもっと広範囲に分散して住んでいたと思われる。少なくとも、「縄文人」の中でもかなりのパーセントを占めていた民族には違いない。
そのアイヌを、日本列島原住民の系列から意図的に外すかのような学説は、大和中心の歴史観、皇国史観による偏向ではないだろうか。
最近では、大和朝廷が北へ北へと追いやっていった東北蝦夷は、現在のアイヌそのものであったとする説も有力になってきている。となれば、東北蝦夷の英雄・アテルイなども、アイヌ人だったのだろう。
大切なことは、表の日本史からアイヌ人の存在が不当に削除、抹殺されていることを知ることだ。アイヌと「その他の日本人」が存在しているとイメージするのは大きな誤りで、長い混血の歴史を遡れば、現日本人の誰もが、アイヌと同根の古モンゴロイドの血を、多かれ少なかれ引いているはずだ。

【出雲王朝 いずもおうちょう】
古代出雲王朝というのは、かつては「架空の王朝」、あるいは、存在したとしてもちっぽけな王朝で、天孫族によりあっという間に滅ぼされた、という見方が主流だった。
しかし、1984年以降、出雲地域から大量の銅器が次々に発掘されると、にわかに古代史学界でも出雲王朝ブームが巻き起こる。
現在では、弥生時代に出雲王朝が存在していたことを否定する学者のほうが少ないだろう。
しかし、ここで、さらに一歩進めたイメージを展開してみることもできる。
出雲といえば、一般的には現在の島根県周辺一帯をさすが、古代出雲王朝は、末期には現在の関西エリア(畿内)にまで及んでおり、中心地は畿内に移っていたのではないか。
また、これだけ大規模な王朝、あるいは地域国家が形成されていたからには、出雲国を形成する人種も、すでに重層となっていたに違いない。
『あなたの先祖は「なに人」か?』(田中勝也+日本原住民史研究会、徳間書店刊、1986)には、次のような推理が記されている。

第一層:早期からの縄文人
 ……アイヌおよび北方ツングース系諸部族。エコロジカルな精神風土を持つ勇敢な人々。
第二層:やや遅れて渡来・土着した縄文人
 ……中国大陸南部、朝鮮半島南部、インドネシア、沖縄、九州を結ぶ、環東シナ海文化圏の諸部族。開放的でのんびりした精神風土を持つ人々。
第三層:縄文晩期から弥生初期にかけて渡来してきた初期弥生人
 ……メソポタミアがルーツとも言われるが、穏和でインテリな大陸からの渡来人一族。日本の原住部族とは、対立をなるべく避けて融和策をとったと思われる。出雲王朝の指導者層を形成していたはずだが、結果的には後から入ってきた天孫族の列島征服の地ならしをさせられた形になった。

「出雲族」と呼ぶべき部族がいたとすれば、この3グループ、あるいは3グループの共同体を指すことになるだろう。大和朝廷形成期には、これら3つの層の人々はすでにかなりの度合いで混血し、共存していたと思われる。
大和朝廷が後世もずっと怖れていた「出雲の影」とは、この出雲王朝のエリート集団と、その末裔たちの影響力、巻き返し、復讐などのことだったのではないか。
【鬼 おに】
こちらへ別掲

河童 かっぱ】
一般には、水陸両棲で、頭には水をたたえた皿、口は嘴状で、背中に甲良を持ち、きゅうりが好物とされる架空の生物。「川わっぱ」が語源とされている。
天狗が山の妖怪なら、河童は川に棲む妖怪だが、朝廷にまつろわぬ者たちを妖怪、物の怪として封じ込め、異端視した結果生まれたという意味では、天狗も河童も、さらには鬼も同根であるという見方がある。
川に棲むとされるのは、川筋伝いに移動生活をしていた人々を指しているからであろう。
明治以降も相当な数存在したとされる非定住民・サンカ(山窩)を河童伝説に重ねる人もいる。

【鬼族 きぞく】
小説『鬼族』は2003年1月河出書房新社より刊行予定。
2000年年末に、鐸木能光が角川春樹事務所より「300枚くらいで」と依頼され執筆。しかし、同社が経営不振を理由に刊行を事実上破棄したため、そのままお蔵入り。
後に、河出書房新社がこの作品の価値を認めて出版の運びに。

鬼族とは、鬼の血を引くと自称する血族集団。青森県岩木山山麓にルーツがあり、全国に広がっている。
鬼の血を引く男子は「鬼人(おにと)」と呼ばれる。鬼の子を宿すために、新月の晩、鬼人と交わる役目を果たす女性を「鬼雛(おにびな)」という。
首尾よく鬼を産んだ女性は「お宿り様(おやどりさま)」と呼ばれ、特別な存在として認められる。
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【古史古伝 こしこでん】
日本の古代、超古代について書かれているとされる文書だが、表の歴史学からはほとんど認められていない。
そのほとんどは、被征服者側の視点で書かれており、古事記、日本書紀が権力者側の論理で編纂されたのとは対照的な内容になっている。多くは偽書とされているが、そもそもそのような偽書が出てくる背景はなんであったのかということを想像することが大切だろう。
権力者側に消し去られた歴史があるのだ、という恨みつらみが後世まで残って、こうした偽書を生みだしたのだとすれば、それだけでも十分に意味がある。
具体的には次のようなものがある。

『上記』(うえつふみ)
『秀真伝』(ほつまつたえ)
『三笠紀』(みかさふみ)
『竹内文書』(たけうちもんじょ)
『九鬼文書』(くかみもんじょ)
『宮下文書(富士文書)』(みやしたもんじょ)
『春日文書』(かすがもんじょ)
『但馬故事記』(たじまこじき)
『甲斐古蹟考(向山文書)』(かいこせきこう)
『先代旧事本紀大成経』(せんだいくじほんぎたいせいきょう)
『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)
『カタカムナのウタヒ』(かたかむなのうたい)

サンカ 山窩 さんか】
山野や川伝いに漂泊しながら、定住、支配を拒否して生きていた人々。日本版のジプシーと説明されることが多い。
ルーツは不確かで謎が多い。サンカという呼称は明治以降、官憲用語として使われ始めたようで、字を見て分かるように多分に蔑視の色合いがある。
研究者としては三角寛、柳田国男、宮本常一、八切止夫らが有名。
サンカの生業としては簑作り(ミツクリ)が有名だが、他にも笛作り(フキタカ)と呼ばれる楽器・芸事小物製作、エラギと呼ばれる遊芸関連(猿舞い、獅子舞、猿楽、白拍子、くぐつ)もあり、これらの3系統に分業体制が組まれていた。加えて、マムシ売りはサンカの誰もがやってもいいとされていた。
明治以降も戸籍にはいることを拒否し、漂泊生活を続け、シノガラと呼ばれる秘密結社を作って結束を固めたことから、小説の世界でも魅力的な題材として取り上げられた。
サンカ小説という言葉を生んだのは三角寛とされるが、五木寛之の『風の王国』『戒厳令の夜』、白戸三平の『カムイ伝』なども、サンカを題材にしていることで有名。
サンカはまた、外部との混血を拒否してきたとも言われている。そうであれば、そのルーツがなんであったのか、非常に興味が持たれる。

狗 てんぐ】
想像上の妖怪。深山に住み、鼻が異様に高く、山伏姿をして空を自在に飛び、神秘的な力をもつと信じられている(集英社国語辞典より)。
天狗には様々な起源、意味があり、上記のように伝えられているのは比較的近世になってからの天狗像である。
特に、「鼻が高い」=増上慢という言い換えは、江戸時代以降のもの。
もともとは山の神であり、それ以前は「天(あま)駆けるもの」=流星という意味もあった。
日本書紀には、「舒明天皇9(637)年に、奈良の都の空を大彗星が大きな音をたてて東から西へ飛んでいった」という記述がある。当時、中国留学を終えて戻ってきたばかりの僧・旻(みん)が、「流星に非ずして、是れ天狗(アマツキツネ)なり。其の吠ゆる声、雷に似たるのみ」と天皇に奏上したという。
アマツキツネは、地上に災いをもたらす凶星か獣のこととされた。

天狗がしばしば山伏の姿に見立てられるのは、修験者の驚異的な能力を畏敬したことからくる。修験者のルーツとされる役小角(えんのおづぬ=役行者・えんのぎょうじゃ)も、天狗に喩えられる。

鳥のようなくちばしを持つ烏天狗は、河童と同根、あるいは同一のものとする説もある。
いずれにせよ、天狗と山岳信仰は切っても切り離せない。
室町時代以降、全国の霊山や有力な山伏集団のいる山では、山に対する信仰心を強めるため、独自の天狗を誕生させる。日本百名山ならぬ「日本八天狗」というものもある。
  1. 愛宕山(あたごさん)太郎坊(京都)
  2. 比良山(ひらさん)次郎坊(滋賀)
  3. 飯縄山飯綱(いづなの)三郎(長野)
  4. 大峰前鬼(ぜんき)(奈良)
  5. 鞍馬山僧正(そうじょう)坊(京都)
  6. 白峰相模(さがみ)坊(香川)
  7. 相模大山伯耆(ほうき)坊(神奈川)
  8. 英彦(ひこ)山豊前(ぶぜん)坊(大分)
愛宕山太郎坊はこれら大天狗の総元締め的存在。その前身は聖徳太子の恩師・日羅だともされている。
比良山次郎坊は『今昔物語』(平安後期)にも登場。 飯綱三郎は、静岡県の秋葉(あきは)山、東京の高尾山、群馬県の迦葉(かしょう)山などの飯綱系天狗の総大将。 などなど、時代を経ると共に、仏教的な序列や意味づけなどもされていった。

【天狗経 てんぐきょう】
天狗は修験道と結びつき、密教的な要素を濃くしていく。
修験者たちが、日本全国の霊山から天狗たちを招聘するために唱えるという経文が天狗経。

「南無大天狗小天狗十二天狗有摩那(うまな)天狗数万騎天狗、先づ大天狗には、愛宕山太郎坊、妙義山日光坊、比良山次郎坊、常陸筑波法印、鞍馬山僧正坊、英彦山豊前坊、比叡山法性坊、大原住吉剣坊、横川覚海坊、越中立山縄乗坊、富士山陀羅尼坊、天岩船檀特坊、日光山東光坊、奈良大久杉坂坊、羽黒山金光坊、熊野大峰菊丈坊、吉野皆杉小桜坊、天満山三尺坊、那智滝本前鬼坊、厳島三鬼坊、高野山高林坊、白髪山高積坊、新田山佐徳坊、秋葉山三尺坊、鬼界ヶ島伽藍坊、高雄内供奉、板遠山頓鈍坊、飯綱三郎、宰府高桓高森坊、上野妙義坊、長門普明鬼宿坊、肥後阿闍梨、都度沖普賢坊、葛城高天坊、黒眷属金比羅坊、白峰相模坊、日向尾股新蔵坊、高良山筑後坊、医王島光徳坊、象頭山金剛坊、紫尾山利久坊、笠置山大僧正、伯耆大山清光坊、妙高山足立坊、石鎚山法起坊、御嶽山六石坊、如意ヶ岳薬師坊、浅間ヶ岳金平坊、総じて十二万五千五百、所々の天狗来臨影向、悪魔退散諸願成就、悉地円満随念擁護、怨敵降伏一切成就の加持、をんあろまや、てんぐすまんきそわか、をんひらひらけん、ひらけんのうそわか」
……この経文には、全部で48の天狗が登場する。
天狗経は室町後期にはすでに存在していたらしい。

天狗の棲む地 てんぐのすむち】
小説。たくき よしみつ(鐸木能光)著、マガジンハウス 1994年刊 ISBN4-8387-0568-9。絶版。
天狗を祀るミニ新興宗教の主幹・茶弥明成(ちゃやめいせい)が体験する現代の異端草子。
絶版後、『狗族(ぐぞく)』と改題し、アマゾンKindleなどから発売。
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【ニニギとニギハヤヒ】
数々ある神話時代の中で、太陽女神であるアマテラスの孫として、ニニギとニギハヤヒが描かれている。血縁関係の記述は様々で、かなり錯綜しているが、
ニニギ──大和系──後の藤原氏──天智天皇の流れ
ニギハヤヒ──出雲系──物部氏──天武天皇の流れ
……という位置づけをされることが多い。
ニニギは、アマテラスの子であるオシホミミの子ということになっている。この血を受け継ぐものとして「天孫族」は自らを正統な支配者として位置づけている。天孫とは文字通り、天(アマテラス)の孫(まご)という意味になる。
これに対して、ニギハヤヒは同じ天孫でありながら、ニニギに比べると記紀では脇役として描かれている。
物部氏系の史書であるとされる「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では、ニギハヤヒはニニギの兄であり、降臨の様子も派手に描かれている。ニギハヤヒこそ正統な天孫であるというメッセージが秘められていると言われる。
大和 vs 出雲 の対立構造は、ニニギ vs ニギハヤヒにそのまま通じている。

【ハヤト 隼人】
南九州を拠点に土着していたと言われる日本原住民族のひとつ。
言語や風習などから、独自の部族であったとされる。
大和朝廷に対しては、なかなか全面服従をせず、長い間、小規模な反乱や抵抗を繰り返していたらしい。
ユニークな習俗として、犬の吠え声を真似するというのがあった。後に大和朝廷に警護役として仕えたハヤトたちは、夜の都を犬の遠吠えの真似をしながら回ったという。
海幸彦・山幸彦の伝承は、ハヤト民族にまつわるものとされる。

落語家・三遊亭円丈師匠は、自らを「ハヤト族の末裔」と言う。師匠が犬を愛し、庭に池を作って魚を愛でるのも、ハヤト族の血故なのだろうか。

【宮下文書 みやしたもんじょ】
別名、富士文書、徐福文献。
富士山麓にあったという高天原王朝の興亡を描いた古史古伝。神代文字で書かれていたものを、秦の始皇帝に仕えた徐福が漢字で再録したと伝えられている。
日本民族のルーツは古代ユーラシア大陸の中央部にあり、そこに住んでいた民族が、海ルートと陸ルートの両方を経て日本列島に移動してきて、トヨアシハラノヨを築いたという内容が含まれている。

【八咫鏡 やたのかがみ】
ニニギが天孫降臨に際して、アマテラスから授かったとされる、天孫を証明するご神体・三種の神器のひとつ。
三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の3つ。
このうち、八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣(くさなぎのつるぎ:天叢雲剣)は熱田神宮に、それぞれ御神体として祀られている。八坂瓊曲玉は神璽(しんじ)として宮中に安置されている。
宮中賢所(かしこどころ)に奉安されている鏡(神鏡)というものがあるが、これは、崇神(すじん)天皇時代に八咫鏡を模して造られたものとされている。
八咫鏡には極めて興味深い噂がある。
賢所にある神鏡裏面にはヘブライ語!の文言が記されており、その意味は「私の名は──私は私である」という旧約聖書の一節(出エジプト紀3章14節)だというのだ。
よくあるデマである可能性は高いが、青山学院大学のS教授(当時)が呼ばれ、解読させられたとか、初代文部大臣森有礼は、この八咫鏡の秘密を知ったことで伊勢神宮の神官の甥に刺殺されたとか、いろいろまことしやかな尾ひれはひれがついていて、カルトファン?を大いに刺激する話題とはなっている。

【倭人 わじん】
和人とも書く。原日本人一般を指すことも多い。
中国の史書である「魏志倭人伝」に登場する「倭人」は、邪馬台国を盟主とする30の部族国家連合ということになっている。
邪馬台国論争については他に譲るが、このとき、すでに「倭人」と呼ばれる人々は、かなりの混血が進んでいたであろう。


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