ぷちぷちサミット(15) 正気を保つための「多次元世界観」


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肉体と精神は徐々に分離されていく?

吾狼: みなさんしばしのご無沙汰でした。今日は2022年10月25日。前回のぷちサミから半月ほど経過しましたが、日本は、というか、世界はまだギリギリなんとかなってるようですね。

イシ: 1ドル150円突破だの、ドル売り・円買い介入がすでに8兆円を超えただの、ウクライナとルーマニアの国境に米軍最強といわれる第101空挺師団が派遣されただの、怖ろしい話はいろいろ出ているけれどね。ヨーロッパの混乱ぶりは日本ではほとんど報道されてないし、まだまだ日本国民は呑気だよね。

吾狼: ですよねえ。なんか、欧米の人たちは開き直り始めたんじゃないかとさえ感じますね。正気を保つためには意地でも今まで通りの生活を取り戻すんだ、と。
 それでですね……ぼくとしてはお先まっ暗な話にかなり疲れてしまいまして、前回の最後に幽大さんがおっしゃっていた「いかにして自分の肉体からうまく離れて、元いた場所に戻っていけるか」という話が気になってるんですが、今回はそっち方向の雑談でもいいですか?

イシ: おお、いいねえ。私ももうほとほと疲れてきた、というか、飽き飽きしてきたところだったんだよね。我々がここでいくら現状分析的な話をしても、世の中が変わるわけじゃない。私の周辺でも、このサイトを覗いて「おもしろいお話ですねえ」なんて言っている人が、翌日シラッと「4回目を打ちました」なんてSNSに書き込んでいるのを見ると、クラクラしてくるもの。
 幽大さん、どうですか? あの話をしていただけませんか?

幽大: うん、まあ……疲れそうじゃが、そう言われてしまうと断れんわな。ただ、きみたちが面白いと思うかどうかは分からんよ。

吾狼: そうもったいぶらずにお願いします。

幽大: それなら、まあ……。
 まずだな。余輩はこの中ではいちばん年寄りなわけだわな。日本人の平均寿命とやらはもう生き抜いたが、今のところ大きな病を患っておるとかいうこともなさそうだ。まぁ、検査もしておらんので分からんがな。
 しかし、日々、自分の精神と肉体が少しずつ分離していくような気がしておる。簡単にいえば、自分の身体が重荷になっているというか、身体を操ることにいちいち神経を使い、気合いを入れなければならんのだな。

吾狼: はい。でもそれは歳を取ればみんなそうなんじゃないですか。ぼくはいちばん若いですけど、すでにそういう気分はよく分かりますよ。今までは意識せずに簡単にできていたことができなくなってくる。生き物としての宿命ですよね。

幽大: まあ、そうなんじゃが、余輩が言いたいのは、単に肉体が思うように動かせないというだけではなくてだな、なんというか、自分の存在はこの肉体とは基本的に関係のない場所に所属していたんではないか、という感覚だな。
 肉体はたまたま与えられた乗り物。言ってみれば、レンタカーのようなもの。レンタカー屋で「小型車ですね? ではこれに乗ってください」とたまたま割り振られたような……その程度のものではないか……と。
 ただ、肉体というのは脳も含まれるじゃろ。人間は脳を使って思考し、行動する。ということは、生まれたときにたまたま与えられた乗り物である肉体が、現世では一人一人の個性になるわけだ。脳の持っている能力以上のことは思考できないし、行動にも移せない。
 だから、若いときは脳を含めた肉体が自分であると信じている。

イシ: いわゆる唯物論的世界観ですね。

幽大: まあ定義はなんでもよいわ。脳が認識し、思考する世界がすべてだと、多くの者たちは信じておる。その感覚が、歳を取ると緩んでくる、とでもいうのかな。
 脳とは切り離された精神というか、魂というか、そういうものをいやが上にも感じるようになる。これが完全に分離していったときが肉体の死なんだろうと。

吾狼: 霊肉二元論ですね。

幽大: まあ、どうとでも言いたまえ。平凡でつまらん話だと思うならもうやめるが?

吾狼: イシ: いえいえ! 続けてください!

幽大: 霊魂と肉体という話で終わるなら、余輩もつまらんと思うさ。そこで、惚けてきたこの頭……まあ、これは「脳」だろうが……で精一杯考えたんだわな。
 余輩が見ているこの世界が肉体を通して認識している世界なら、現世は個々の肉体と紐づけされた存在なのではないか、とな。
 ということは、吾狼くんやイシコフさんが見ている世界も、同じようにそれぞれの肉体と紐づけされておる。それは同じものではないのではないか。3人いれば、3つの世界が存在している。100人なら100個の世界が存在している。その複数の世界が重なり合っているのが現世なのではないか、と。
 ……ああ~、余輩が言いたいことは、伝わっておるかな?

イシ: はい。分かります。すごくよく分かります。
 実は私も同じように考えているんですよ。
 私たちが見ている世界……幽大さんは「現世」とおっしゃっていますが、現世というものは単一の物質世界ではなく、個々の意識の「認識」にすぎないんじゃないか、と。
 もっと分かりやすく言えば、3D映像のようなもので、世界の「実体」ではない。
 3D映画を見ているとき、映像も音声もあるから、視覚と聴覚でそこにあたかも別の世界が存在しているかのような疑似体験ができるわけです。現世も同じなのではないか、と思うんです。
 3D映画と違って、視覚と聴覚だけでなく、手で触れて触感を得られることで、その世界がカチッとした「もの」として実在していると錯覚しているけれど、それは3D映画に触覚が加わった程度のもので、私たちが唯一絶対の世界だと信じている物理世界もまた、「世界」の実体、あるいは「世界全体」ではないんじゃないか。
 ということは、物理世界は一つではなく、脳が認識する数だけある。その膨大な数の世界が幾通りにも重なり合う世界がまたある。人間の脳にはなかなか理解できないような、いわば無限の多重構造になっているんじゃないか……と。

幽大: おお、分かってくれるか。なかなか言葉で説明するのは難しいんじゃがな。そういうことだ。

吾狼: それって、今のような時代を生き抜くためのテクニックにもなりそうですね。自分が見ている世界はいわば幻想というか、自分にしか見えていない映像のようなものなわけでしょう? その世界がどんなに理不尽でひどい世界でも、ゾンビ映画を見せられているようなものだと思えばいいわけですよね。実は世界の本質はもっと多次元、複層的なもので、自分も最後はその巨大な世界に戻っていく……みたいなイメージで生きていれば、腹の立つことやストレスの溜まることも、「まあ、これも所詮は俺だけが見ている出来の悪いゾンビ映画の世界のことだし」と思って、突き放せるかもしれませんね。

幽大: そういうことじゃな。
 吾狼くんはまだ若いから、そういう考え方、使い方でいいだろうな。余輩のような老いぼれは、目の前の最大関心事は生きること以上に「死ぬこと」なんでな。ズルい使い方じゃが、死への恐怖を薄れさせるための思考ともいえるわな。
 死は壊れたレンタカーを返却するようなものだ。壊れたクルマはそのまま廃車となるじゃろうが、そのことを必要以上に恐れたり悲しんだりすることはない。たかが乗り物なのだから。
 レンタカーから降りると、そこは今までクルマの窓ガラスを通して見ていた世界とはまったく違う、本当の世界に浮かんでいる……そんな感じかな。
 問題は、レンタカーの「返却」をいかにうまくやってのけるかということだな。
 返却……つまり、今まで使っていた肉体との分離がすんなりといかなければ、苦しい思いをする。それは避けたいわな。
 きれいに、楽に分離したい。
 今は、その準備をしようとしておる。



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